誰かを想うだけで、心に灯がともる夜がある

紗月灯のひとりごと

~胸を打った一枚の絵 若いころは龍虎・今は双星~

最近、恋愛ドラマや映画を観ても、
昔みたいに胸がキュンとしたり、
切なくて眠れなくなるような感情は
あまり湧かなくなってしまいました。

「あぁ、懐かしいなぁ」
そんなふうに、少し距離のある場所から
恋愛を眺めている自分がいます。

でもね。
そんなふうに“誰かを想えること”そのものが、
実はとても尊くて、美しいことなんだと
年齢を重ねた今だからこそ思うんです。

🌙 胸を打った一枚の絵 ―「階段でのであい]

「階段でのであい」という絵画を見たとき、
胸の奥をぎゅっと掴まれるような衝撃を受けました。

あの絵の中で、私が一番見てほしいのは、
愛おしそうに握られたふたりの手と、
その手の温もりと想いを、そっと受け止めている女性の表情です。
触れた瞬間に生まれる気持ちが、
言葉よりも静かに、まっすぐに伝わってくる。

あの絵には、もうひとつの物語がある。
階級や身分の違いから、当時の時代では決して許されなかった愛。
ふたりが触れたその手は、ほんの一瞬の奇跡のような時間だったのかもしれない。

その後、男性は処刑されたと言われている。
だからこそ、あの階段で交わされた手とまなざしには、
“叶わないと知りながらも、互いを想い合った二人の強さ”
が静かに宿っているように見える。

触れた手の温もりに、
ふたりが最後に伝えたかった想いがすべて込められている。
その一瞬の透明な愛が、今も絵の中で息づいている。

切なくて、
純粋で、
触れたら壊れてしまいそうなほど繊細で、
でも確かにそこに“愛”がある。

その瞬間、
「こんな恋ができたらよかったな」
「こんなふうに誰かを想えたら素敵だな」
そんな気持ちがふっと湧き上がってきたのを覚えています。

🌕 若い頃の私は、龍虎のように“個”でいたかった

昔の私は、
恋愛に対して“比翼連理”のように
一体化する関係を求めていませんでした。

むしろ、
龍と虎のように
互いが個として立ち、
それでも隣にいる関係

が理想だった。

依存でもなく、
埋め合うでもなく、
ただ“自分”としてそこにいる。

そんな愛の形が心地よかった。

🌙 今の私は、双星のように響き合う愛に惹かれる

経験を重ねて、
いろんな痛みや喜びを通ってきた今の私は、
恋愛そのものよりも
「誰かを深く想うという行為」
に美しさを感じるようになりました。

双星のように、
互いが個として輝きながら、
そっと響き合う関係。

依存でもなく、
溶け合うわけでもなく、
ただ一瞬、
心と心が触れ合う。

その一瞬のために、
人は誰かを想うのかもしれない。

🌿 人を想うことで、心は静かに満たされていく

大切な相手を思い浮かべるだけで、
胸の奥にふわっと“幸せホルモン”が満ちていく。
その温かさが、周りに優しくできたり、
些細なことで怒らなくなったり(笑)
自分の世界が少しずつ柔らかく変わっていくのを感じる。

もし、この地球上のすべての人の心が
“愛でる気持ち”で満たされたら、
きっと今よりずっと優しい世界になるんだろうなと思う。
そんな愛で溢れた世界を、私は見てみたい。

そのためにまずは、自分を愛でることから始めてみませんか。
そして、今あなたのまわりにいる人へ、
ティースプーン一杯分でいいから、そっと愛を分けてみる。
それだけで、世界は静かに変わり始めるから。

🌏 愛には、いくつもの形がある

恋も、親子も、友達も、
そして花や自然、絵画や陶器、
大切にしているモノや推し活までも。

どれも違うけれど、
どれも心に灯をともす“愛でる”という行為のひとつ。

人を愛することも、
花を愛でることも、
美しいものに心を奪われることも、
根っこは同じ“愛”なのだと思う。

✨ 今日の灯

誰かを想った時間があるなら、
それはもう、
あなたの人生にひとつ灯がともった証。

恋愛の形が変わっても、
心が動いた瞬間は、
いつだって美しいまま。

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