「いい子」でいることで自分を守ってきた小さな頃の私
小さな頃から自分の意見を言うのが苦手だった。
なんとなく雰囲気で察することができてしまう私は、 母を困らせないように、 見てもらえるように、
「わがままを言わないいい子」でいようとしていた。
その頃の私は、 “いい子でいること”が自分を守る方法だったんだと思う。
自分の気持ちを言うより、 空気を読むほうが安全だった。
そのほうが、誰も傷つかないと思っていた。
「自分なんて」と思うようになった時、心は静かに傷ついていた
“自分なんて”と思うようになってからは、正直、楽だった。
きっとそれは、その時の自分の心を守るために必要だった。
でも、違うと思った瞬間、 胸の奥がぎゅっと苦しくなった。
「なんで理解してくれないの?」 「本当は違うのに…」
そう思う気持ちを押し込めて、 自分が我慢するほうがみんなにとって良いなら、と 自分の気持ちを見ないようにしていた。
その結果、 突然感情があふれ出して、 一人で涙を流したり、 「自分の居場所なんてどこにもない」と思う夜もあった。
卑下するクセは、 自分を守るための盾だったけれど、 同時に自分を傷つける刃でもあった。
卑下を認めて声をかけ続けたら、“自分なんて”が“自分でも”に変わっていった
そんな自分を責めるのをやめて、 “自分なんて”と思った瞬間に気づけるようになった。
気づいたら、
「今の気持ちなんだね」
「今の私はまだ変化の途中だから、もう少し待ってて」
と自分に声をかけるようにした。
卑下してしまう気持ちも含めて、 一度認めてみる。
すると、 沈んでいる時間が少しずつ短くなっていった。
そして気づいたら、
“自分なんて”が
“自分でもできるかもしれない”
“自分でもやってみようかな”
そんなふうに変わり始めていた。
卑下していた自分も、私を守るために必要だった
自分を守るために自分を卑下していた。
それは確かに自分を傷つけていたけれど、 その時の私には必要な生き方だった。
年齢を重ねて、 自分を大切にしようと思えるようになったのは、 卑下していた自分がいたから。
あの頃の私が、 必死に自分を守ってくれていたから、 今の私はこうして自分を理解しようとしている。
卑下していた自分も、 今の私をつくってくれた大切な一部。
あなたの心に今日もそっと暖かな灯がともりますように🍃
紗月灯🌙

