離婚のことを書くのは、少し勇気がいる。
でも、誰かの人生のどこかで、私の経験がそっと寄り添うことがあるなら—— 今日はその話をしてみたいと思う。
最初の離婚は、まだ二十代の頃だった。
二人の子どもを抱えて、「一人でやっていく」と決めたあの日の空気は、今でも忘れられない。
決意の裏側には、たくさんの悩みや不安があった。 本当に一人で育てられるのか。 母親としてちゃんとやっていけるのか。 夜になると、そんな問いが胸の奥で静かに膨らんでいった。
でも、一度弱音を吐いてしまうと、きっと止まらなくなる—— そんな予感があった。
だから私は、不安を誰にも言わなかった。 言葉にしてしまったら、崩れてしまいそうだったから。
その沈黙は、時に誤解を生んだ。
親や兄妹から「頼りにされていない」と叱られたこともある。
けれど今思えば、それも私の不器用さのひとつだったのだと思う。
誰かに甘える方法を知らなくて、ただ前だけを見て歩くことしかできなかった若い頃の私。
子どもたちに不憫な思いをさせないように、私は必死だった。
母子家庭だからといって、何かを諦めさせたくなかった。 一人で母親と父親の役をやりきらなければ—— そんな思いが、私を自然と厳しくさせていたのだと思う。
実際に「片親だから」と偏見の目を向けられたこともある。
そのたびに胸が痛んだし、悔しかった。 でも、私には守るべき子どもたちが居る事で強くなれた。
子供たちの前では絶対に弱い顔を見せたくなかった。
私が揺れたら、あの子たちまで不安になる。そう思って踏ん張っていた。
ただ、厳しくしたことで、子どもたちも困った時に誰かを頼ることが苦手になったと思う。
それは、今でも私の中で反省として残っている。
けれど正直に言えば—— 私自身が“頼り方”を知らなかった。 どう伝えていいのかも分からなかった。
子どもを強く叱った夜は、寝顔を見ながら「ごめんね」と涙を流した。 弱さを見せてはいけないとずっと思っていた。 これは私の悪い癖。
でも、子どもたちが成長していくにつれて、ふと気づかされることが増えた。
私が体調が悪い時には「横になって」と声をかけてくれたり、 買い物帰りに何も言わず荷物を持ってくれたり—— その優しさが、胸の奥にじんわり広がっていった。
あの頃、必死で強がっていた私を包み込むような温かさだった。
離婚を経験する人、しない人、それぞれの人生にそれぞれの在り方がある。
“離婚”とか“バツ1”なんて言葉を気にする必要はない。
世界には本当にさまざまな結婚のスタイルがあって、 日本の価値観だけが正解ではないから
離婚は、人生における選択肢のひとつにすぎない。 理想と現実の違いがあったとしても、 自分の理想に近づけるための努力は必要だと思う。 例えば結婚を意識したら、1〜2年同棲してみる。 一緒に暮らすことで、交際中には見えなかった部分が見えてくるから。
結局のところ、人生の選択は「自分とパートナーが幸せになれるかどうか」。
結婚を続けることが幸せならその道を選べばいいし、 別々の未来が幸せにつながるなら、それもひとつの選択だ。
離婚という選択は、私にとって最終手段だった。
でも、「今、自分の人生を生きていない」と感じるなら、 一度立ち止まってみてもいい。
自分とパートナーの幸せのために。
もちろん、あの時離婚しなかったら……と想像することはある。
でも、どちらの道を選んでいても悩んでいたと思う。 人生は、どの道を選んでも迷うものだから。
ただ一つ、私がはっきりと言い切れることがある。
私は、自分が選んだ選択で良かった。
悲しみも、苦しみも、自己嫌悪もあったけれど、 それでも私は、 “今”が好きだ。
もし今、パートナーとのことで悩んでいる人がいるなら、 焦らずに、ゆっくりじっくり考えたらいい。 選択肢はひとつじゃない。
一人の時間をつくる。 しばらく距離を置く。 結婚という形をいったん解消して、同居人になる。 生活のパートナーになる。 子どもを育てるパートナーになる。
たとえ周りから「変だね」と言われても気にしなくていい。 それが自分たちにとっていちばん心地よく、 幸せでいられる距離や関わり方なら—— それがあなたたちのベストな選択だから。 (⌒∇⌒)
あなたの心に今日もそっと暖かな灯がともりますように🍃
紗月灯🌙

