数年前、私は悪性腫瘍と闘う叔母を支えた。
強くて、優しくて、いつも誰かに愛を渡している人だった叔母が、 少しずつ弱っていく姿を見守る時間は、 胸の奥がぎゅっと締めつけられるほど辛かった。
けれど、その時間は同時に、 私の“生き方の軸”を静かに揺さぶった出来事でもあった。
私たちはこの世に生を受けた瞬間から、一日・一日と最後へと歩んでいる。
その事実を、叔母の姿を通して初めて真正面から受け取った気がした。
叔母が最後まで見せてくれた姿は、 正しいとか間違いとか、そんな言葉では測れない。
ただ、その人がその人として選んだ生き方の延長線上にあるものだった。
その姿を前にしたとき、私は初めて 「どう死ぬか」という問いを自分の中に持った。
そして気づいたのは、 その問いは結局、
“今をどう生きるか”にまっすぐつながっているということだった。
🌿 叔母が教えてくれた“最後の姿”
叔母は、最後の最後まで 人を思いやり、
自分の弱さを恥じず、 静かに、穏やかに、 愛を持って生きていた。
その姿を見たとき、 私は強く揺さぶられた。
もし自分が叔母の立場だったら、 どう最後を迎えたいだろう。
どんな心で、どんな表情で、 どんな言葉を残したいだろう。
その問いは、 「死」を考えることではなく、 “今をどう生きるか”を考えることだった。
🌙 死に方を選ぶということは、今を選ぶこと
私は今、自分の最後を自分で選んでいる。
それは、 「こう死にたい」という願いではなく、 「こう生きたい」という選択。
死に方を選ぶということは、 同時に 今をどう生きるかを決めること。
どんな人でありたいのか。
どんな言葉を使い、 どんな優しさを渡し、 どんな静けさを大切にして生きたいのか。
そのすべてが、 “最後の姿”につながっていく。
🌿 今を丁寧に生きることが、最後を美しくする
叔母が教えてくれたのは、 「死は突然やってくるもの」ではなく、
“生き方の延長線上にあるもの”だということ。
だから私は、 今日の選択を丁寧にしたい。
誰かに優しくすることも、 自分を大切にすることも、 静かな時間を味わうことも、 全部、最後の自分につながっていく。
死を恐れるのではなく、 死を見つめることで、 今がより鮮やかになる。
どう死ぬかを考えることは、
今をどう生きるかを選ぶこと。
今日の一瞬一瞬が、最後の自分をつくっていく。
あなたの心に今日もそっと暖かな灯がともりますように🍃
紗月灯🌙

