蚊に刺されたくらいの出来事だったのかもしれない。 〜大河の一滴を読んで気づいたこと〜

紗月灯のひとりごと

蚊に刺されたくらいの出来事だったのかもしれない。 そんなふうに思えたのは、離婚後の生活が少し落ち着いてきた頃のこと。

離婚という大きな節目を越えて、 新しい生活が少しずつ落ち着いてきた頃。

気づけば、毎日を“なんとかやってる”から “ちゃんと生きてる”に変わりつつあるような、そんな感じ。

でもね、ふとした瞬間に胸がぎゅっとなることがある。

たとえば、 夕方の光が部屋に差し込んできて、 「あぁ、なんか幸せだな」って思った瞬間。

そのすぐあとに、 胸の奥からそっと声が出てくる。

「もっと強かったら、みんなを守れたのに」

「こんな私が笑ってていいの?」

……いやいや、誰よ、今それ言うの。 ってツッコミたくなる時もある。

でも最近は、その声を否定しなくなった。

「そう感じるよね」

「うんうん、分かるよ」

「でも今はちょっと黙っといてね」

そんなふうに、 まるで自分の中の“ちょっと拗ねた子”と会話するみたいに 一度受け止められるようになった。

離婚後の生活が落ち着いてきたからこそ、 自分の内側の声が静かに聞こえるようになったのかもしれない。

そして、 “在ることに感謝する”という視点が、 少しずつ自分の中に根づいていった。

沖縄で生まれ育ったこともそう。

祖父母達が沖縄戦の戦火を潜り抜け両親へと命を繋いでくれかたら、今の私はある。

そのどれか一つのピースが欠けていたら、今の私は存在してない。

『大河の一滴』を読んだ影響もあって、 大局的に物事を見るようになったら、 私に起こった出来事なんて、 大河の流れの中のほんの一滴。 蚊に刺されたようなものかもしれない。

(いや、実際に蚊に刺されたら普通に痛いんだけどね。 でも人生のスケールで見たら、そんな感じ。)

今日、気持ちを整理していたら、 心の中に“淡い色”がふっと浮かんだ。

触れられるけど掴めない。 零れ落ちるけれど、流れていく。

水みたいに、静かで、透明で、 気持ちのよい冷たさをしている。

その冷たさは、 痛みの冷たさじゃなくて、 心がようやく深呼吸できた時の冷たさ。

今の私は、 まだ形にならない淡い色の中にいる。 でもその淡さは不安じゃなくて、 これからどんな色にもなれる“余白”のように感じる。

今日ここで、 その淡い水のような心に触れられたことが、 ただただありがたい。

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